「藪の中」(芥川龍之介)①

一切は「藪の中」です

「藪の中」(芥川龍之介)
(「地獄変・偸盗」)新潮文庫

「藪の中」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集4」)ちくま文庫

平安時代、
藪の中で一人の男が殺される。
検非違使が
関係者七名から事情を聞き、
事件の概要が明らかになる。
しかし、殺した盗人・多襄丸、
殺された侍・武広の妻・真砂、
そして巫女の口を借りた
武広の死霊、
三者の証言は食い違う…。

昨日取り上げた
ビアス「月明かりの道」
影響を受けたとされる、
芥川龍之介の「藪の中」です。
こちらはビアスとは
趣がかなり異なります。

多襄丸は正当な決闘の上と主張し、
真砂は無理心中の果てと訴え、
武弘は自刃したと言うのです。
それぞれが
無罪を主張するならともかく、
自分が犯人であることを
自白しているという点で、
三者の証言は全く矛盾しているのです。

真相はどうなのか?
考えられる点は三通りです。
①すべて真実(心理的事実
 ~心で受け止めている、
 そう思い込んでいる事実)である。
②一人の話していることが真実で
 他の二人が嘘をついている。
③すべて嘘をついている。

これまで様々な分析が
なされているようですが、
やはり③の可能性が濃厚です。
当事者それぞれが「何かを隠す」ために
自分の都合のよいように
証言していると考えられるのです。
「自分が犯人だ」とあえて言わなければ、
一層の恥辱が明らかになってしまう、
そう考えるのが
最も自然ではないかと思うのです。

多襄丸の場合はどうか?
すでに捕らえられた以上、
罪をいかに軽くするか考えるのが
普通です。だとすれば、
武弘殺害を認めた方がよいほど、
重い罪を重ねていると推察できます。
自分は正々堂々と
勝負を挑む男であることを
印象づけることにより、
これまでの悪辣な犯罪とは
無関係であることを申し立てていると
推察できます。

真砂はやや複雑かもしれません。
自殺幇助、心中未遂という
言い訳によって隠すべきものは何か?
そう考えると、
真砂は多襄丸に身体のみならず
心も許してしまったと見るのが
妥当でしょう。

武弘は武士としての体面が
そう言わせたと考えられます。
盗人にだまされ、縛り上げられ、
目前で妻を手込めにされ、
なおも殺されたとあっては
侍としての面目丸つぶれです。
せめて最後は自ら腹を切るのでなければ
死んでも死にきれないでしょう。

問題は、
芥川が一つの「事実」を仮定して、
その上でそれを糊塗するように
証言を組み立てたのか、
それとも物語としての
不可解なおもしろさを
狙っただけなのか?
それを含めて一切は「藪の中」です。

(2020.3.20)

damesophieによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「藪の中」(芥川龍之介)

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